ブログ・アーカイブ · 2025年 · 個人的な話
人生が完璧な写真を
撮らせてくれないとき。
ただ「ありがとう」とだけ言う日のこと。ウエハースやレープクーヘン、 クッキー、チョコレートを詰めた2箱をレーゲンスブルク大学病院へ — そして、よりによって完璧でない写真がちょうどよかった理由について。
そういうことは、ふつうに起こります。動きまわって、段取りをして、買い物をして、 片づけて — そして、ちゃんと残しておきたかったはずの瞬間を、撮り忘れるのです。
この2箱も、まさにそうでした。もともとは計画がありました。 きれいに整った写真を撮るつもりだったのです。ウエハース、レープクーヘン、クッキー、 チョコレートをきちんと並べた箱。「予定された受け渡し」に見える一枚を。
けれど、そこに日常が割り込んできました。買い物、予定、考えごと。 気がつけば、箱はソファの足元にただ置かれていました。少し傾いて、開いたままで、ばらばらで。 整ってもいないし、完璧でもない — でも、本物でした。

ただのお菓子ではありません。
この箱は、私の居間のためのものではありませんでした。大事な行き先があったのです。 レーゲンスブルク大学病院(UKR)です。
核医学科と耳鼻咽喉科病棟にお届けしました。 なぜか。ただ、ありがとうと言いたかったからです。つらい時期にそこで受け取った助けと支え、 そして人としてのあたたかさに対して。言葉だけでは足りないこともあります。 それでも、忙しい勤務のあいだの甘いひと口は、少しは役に立つかもしれません。
何かを返したい、という気持ちがありました。大げさな演出ではなく、心から。
完璧に計画するより、まずやってみる。
写真を見たとき — 開いたままのふた、居間の床、スタジオの照明もなし — 最初は「しまった、撮り逃した」と思いました。けれどすぐに気づきました。 これこそが、正直な姿なのだと。
「ここには SNS のための演出はありません。ここにあるのは、生活そのものです。」
物事にただ取りかかるとき、その姿がどう見えるかを写しています。 包装よりも中身が大切なとき。見た目の完璧さより、感謝のほうが重いとき。
だから「完璧な写真」を撮り逃したことは、失敗ではないのかもしれません。 この完璧でない一枚こそ、ちょうどよい証しなのだと思います。本物の瞬間だからです。 そしてこの荷物が、本来の役目を果たしてくれたことを心から願っています。 病院の一日に、小さな笑顔を持ち込むことです。
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